米短猫

-20080601
どうしたいのか分らない。

ああ、もうこんなに経ったのか・・・。
Aug 01
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私のブログに「あなたの小説の華道の記述は間違いです。なぜならこういうエピソードがあるのです」というメールが来ました。

華道歴30年で師範代の私ですが、聞いたことのないエピソードだったので、驚いて調べてみたところ、ある大御所時代小説作家の作品に同じようなエピソードがあったことが判明しました。

そのメールをくれた方は、時代小説作家の小説のエピソードを勘違いして覚えていて、私が実際に体験し一次資料に基づいて書いたことに対して、わかつきが間違えている、これは教えてあげなくては、と善意で教えてくださったようです。

時代小説好きには、こうした親切な方がたまにいらっしゃるようですが、「史実と違う小説のエピソード」を「出典を隠して」ご教授くださるのは、ご遠慮頂けないでしょうか。

作者が自信を持つ、得意な部分であればあるほど、混乱するし、ショックを受けます。「新説が出てたのだろうか」「古文書が発見されたのだろうか」と調べるはめになり、仕事ができなくなります。

ダメージも大きいですね。
華道の専門家ではない時代小説作家の華道の記載が本当に見えて、私が実際に生けて史実に基づいて書いたことが間違いに見えるというのは、私がジュブナイルポルノ作家だから適当に書いているように見えるのかと落ち込みました。

これは医者の小説を書く現役の医者に、手塚治虫のブラックジャックと違うことを書いているからと「あなたの病気治療に関する記述は間違いです。なぜならこういうエピソードがあるのです」とメールを送るのと同じです。

その医学博士は、驚いて調べるでしょうし、手塚治虫が出典だと知ったら、「私が実際に体験し、一次資料に当たって書いた記載より、ずっと前に亡くなった手塚治虫のほうが正しいというのか」と怒り出すことでしょう。

失礼だとは思いませんか。

商業小説は、気楽に書くブログと違い、作家が書いたそのままで本になるわけではなく、編集者と校閲がチェックし最低3人の人間の手を経ます。ですから、大きな間違いはありません。

小説は論文ではありません。お話をおもしろくするために、わかっていてウソを書くこともあります。
ウソを含めて楽しんでいただけますよう、伏してお願い申し上げます。

読者さんが怖くて眠れなくなり、恐怖感を克服する方法は、読者さんとの交流を絶つことだと考えて、いったんブログを閉じたのですが、この文章だけ残しておくことにします。
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夜中まで作業が続きそうなのでオフィスグリコにコインを落としてカップ麺を手に入れる。その場でばりばりパッケージを破いて、据え置きのポットからお湯を注ぐ。ジャンクフードのにおいをくんくんとかぐ。にんまりと笑う。それから気づく。割り箸がない。コンビニエンスストアで買えば箸をくれるけれど、オフィス内で買うとない、みたいだ。知らなかった。近くの席の社員と目が合う。相手の視線が自分の顔から夜食にスライドする。お、からだに悪そうなもん食ってますねえ。まだ食べてませんよう、箸がなくって、だから、どうしようかなーって。その会話の途中から机の抽斗をあける音がいくつも派手に響き渡って少し驚く。顔見知りの三人がそれぞれの席から割り箸を差し出している。みんなで顔を見合わせて笑う。

 というわけで私は無事にカップ麺を食べることができて、割り箸のストックまでできて、みんなに愛されてるなーって思ったの。だっていやなやつがカップ麺たべられなくて困ってたら放っておくでしょう。彼女はにこにこ笑ってそのように話を結んだ。私も笑った。よかったなあと思った。ほんとうによかった。

 彼女はかつて割り箸程度の愛になんか気づかなかった。そういう小さくて地味なものを拾って歩くような体力は彼女にはなかった。からだに悪そうなものを夜中に食べることもなかった。彼女は常に健康に気を遣い体力をやしない注意深く自分を制御しながら歩いていた。彼女にとって世界は薄暗いとげだらけの森で、彼女の視力は低く、あてにならない杖で前方を払いながら歩かなければならないものだった。私たちが掛け値なしに若かったころ、彼女はそのような人だった。

 けれども彼女は弱々しい無害な人なんかじゃなかった。彼女はたしかに手負いで、けれども獰猛だった。敵とみるや牙を剥き相手が怯めば後足で砂をかけて逃げるような人だった。ほとんどいつも全身の神経をぴんと立てて周囲を走査していた。彼女の前にやってくるものはまず彼女を害するものと仮定された。彼女は世界を憎んでいた。憎むものに潰されたら腹立たしくてかなわないからこんなにも生き汚いのだと、そう言っていた。彼女は人生の早い時期から勝ったの負けたのというせりふがよく聞こえる競争の激しい環境にあって、でもそれだけでは説明がつかない焦燥の気配を感じさせた。彼女は勝ちたいと思っていたのではなかった。生き延びたいと思っていたのだ。

 そんなだから、彼女は愛にはあまり気づかなかった。小さい愛、弱い愛、部分的な愛は「なんだか不審な親切」として処理された。男の子たちの好意はたいていの場合、愚かしい妄想、自分を見くびったゲーム、装飾された暇つぶしといった解釈を与えられて退けられた。私はときどき彼女からそのような話を聞いた。少しかなしかった。巨大な穴に小さいものを落としても効果なんか見えないけれど、だからといって何も入れなければ穴はいつまでも穴のままだ。

 そのような日々を経て、ある日突然、彼女の巨大な空洞にふさわしい巨大な恋が彼女を訪れた。たがいの心臓を取りだして差し出すようなやつだ。このような愛が人を救うのかしらと私は思って彼女とその恋の相手を見ていた。しかしそれは破綻した。三年が経っていた。考えてみればあたりまえだよなあと私は思った。彼の心臓は彼の心臓、彼女の心臓は彼女の心臓だ。取り出して差し出したって相手のからだに埋めて使えるわけじゃない。だいいち彼女のそれには穴があいていて、交換したって穴は穴のままぽっかりとそこに空いているのだ。私は彼女が荒れ狂い、以前よりさらに強くこの世を呪うと予測した。

 けれども私にとっては不可解なことに、恋の破綻のあと彼女はとても健康になった。部屋に遊びにいくとあきらかに掃除のしかたがいいかげんになっており、削いだようだったからだに少しばかり贅肉をつけ、まあいいじゃんとかどうにかなるよとか、そういうせりふを言うようになった。何があなたをそのようにしたのと私は尋ねた。恋ですか、それともその消失?両方かなあと彼女は言って気の抜けた笑いを笑った。わたし大人になったんだあ。若かったころにはしなかった子どもっぽい口調で彼女はそう言った。

 そのようにして彼女は割り箸的な愛をも受け取ることのできる人物になった。彼女の安定と彼女の健康を私は祝福する。割り箸をくれる彼女の同僚たちにも感謝する。けれども私は、あの脆弱で獰猛で世界を激しく憎んでいたころの彼女を、少しなつかしく思う。あの子はきれいだったと思う。箸三膳分の愛なんか歯牙にもかけなかった、みじめな女の子のことを。

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>天皇は1945年8月15日に「休戦調書」で、無条件降伏と共に

「日本は、無条件降伏などしていません」

そもそも、ポツダム宣言は講和条約ではありません。
講和条約(平和条約)とは戦争状態を終結させる条約ですが、これは損害賠償・領土問題など戦争に関わる全てを取り決める条約です。
日本の場合、連合国との講和条約(平和条約)は1951年の「サンフランシスコ講和条約」です。
ポツダム宣言は、「対日戦争」において連合国の首脳(米・英・露・中)が取り決めた「日本との戦争を終わらせる条件」です。

そして、日本国は、ポツダム宣言に署名したのではありません。
休戦協定(降伏文書)に署名したのです。
ttp://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Surrender.html
ttp://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/021shoshi.html
<続く>
31.おーるじゃんるな名無しさん2014年07月31日 16:16 ID:fSHgsbZ90▼このコメントに返信
<続き>
昭和20年9月2日のミズーリ号上での調印は、休戦協定を意味します。
ttp://e-ooita.com/art/blog/sigemitu/sigemitu%20(7).jpg
ttp://sidenkai21.cocot.jp/Shigemitsu.jpg
ttp://sidenkai21.cocot.jp/tyouinbunshyo.jpg
ttp://jp.youtube.com/watch?v=QlXGpzijjlU

【重要】
降伏文書には、条件の一つとしてポツダム宣言も書かれておりますし、
それ以外の条件も書かれております。
この文章は、「国家の代表者」と「軍の代表者」がそれぞれ署名しておりまして、
国家と国家の契約文書なんです。
戦勝国といえども契約を遵守する義務が生じるのです。
契約が成立したのは昭和20年9月2日です。

よって、日本国は”有条件降伏”をしたのです。(無条件降伏というのはデマです。)

そして、一旦休戦してから、サンフランシスコ会議にて、戦争を終わらせるための講和条約が作られます。
もちろん、その講和が受け入れられない場合は、戦争の再開と言うことになります。
そして、日本はこれを受け入れました。
<続く>
32.おーるじゃんるな名無しさん2014年07月31日 16:16 ID:fSHgsbZ90▼このコメントに返信
<続き>

■【平和条約】■
サンフランシスコ平和条約を締結して戦争を法的に終了しました。
ttp://list.room.ne.jp/~lawtext/1952T005.html
第五章 請求権及び財産
第十四条【賠償、在外財産】
(b)……..連合国の請求権を放棄する。

日本と交戦した中華民国とは、日華平和条約を締結して法的に戦争を終了しました。

ttp://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/1952042…
日華平和条約議定書
(b)中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約第十四条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。
ttp://www.kcn.ne.jp/~ca001/E31.htm

つまり、日本は“戦勝国”の決めた「講和条約」により沖縄を返還されていますが、
その戦勝国には中華人民共和国は、当たり前ですが入っていません。
中華人民共和国は日本とは戦っていませんし、まだ国も存在すらしていませんから。
日本國の主権が回復したのです。(4月28日は、主権回復の日)
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celer-et-audax:

C-130 Hercules Carrier Landing Trials on USS Forrestal 

celer-et-audax:

C-130 Hercules Carrier Landing Trials on USS Forrestal 

(via pipco)

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究極的に近代国家のいいところは何か、ということに突入していくわけですが、要は別に友達とかいなくても税金さえ払っていれば、警察と自衛隊も、戦争や災害から守ってくれるし、小中学校はタダで行かせてくれるし、病気になっても三割負担ぐらいで病院にいけるんです。友達がいなくても、そうやって人に支えてもらえるから、119番を押すと救急車も消防車も来る。究極的にはそういうことなんですよ。

それを今の自称インテリ的自意識を持っている人であればあるほど、逆行しようとしているんですよね。「人と人とのふれあいって大事だよね」って、そりゃ大事に決まってますよ。でもそれって、主張として意味なくないですか?

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この世の中でいちばん大切なものは「お金」で、その次が「自由」というオレにとって友達はすごく窮屈な存在で、オレの自由を奪うことが多いんですよね。一人でやりたいことがあるのに「~しよう」とか「~に行こう」とか誘われると、どうやって断ればいいか困ってしまう。

もしあなたが一人でいることが好きだったら、先生の言うことは聞かなくていいと思いますね。もし、友達をつくりたいと思ったら、誘われても断れる人がいいですけど、そうでない友達なんて必要ないもの。少し寂しいこともあるけど、好きなように生きていたほうがいいですよ。

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awwww-cute:

I always had to live in an apt with my husky, but we just moved to a place with a fenced in backyard. She can finally run free

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I always had to live in an apt with my husky, but we just moved to a place with a fenced in backyard. She can finally run free

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小4の時赴任してきたバーコード校長が夏休み前の朝礼で
「え~、この辺は車やバイクの通行が激しくて危ないので、みなさんちゃんと横断歩道を渡りましょう」
と言っていたのに、夏休み開けに校長が右手右足ギブスに松葉杖姿で朝礼台に上がってきて

「みなさんに謝らないといけないことがあります・・・実は校長先生は
横断歩道と別の所を渡ってしまい、バイクにはねられちゃいました・・・
みなさんもこうならないように・・・」
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(Source: relentless-soul)